今の教育で足りないと思うこと

ゆとり教育全盛期を生きた私(小4-高3?)が言っていいことなのかわかりませんが。
結構具体的な点です。

私が、今教育で欠けているのは、
「論理に関する指導すること」であると思います。
私の経験の中で、そのような教育を受けた試しが無いからです。

まず小学校。
まず(言い方は間違ってるかも…)論理体系の1つである数学(算数)では、
中身はほとんどが計量について(加減乗除、長さ面積体積、など)。証明問題なんかやらない。
考え方を身に付けさせる気もない。いわゆる「みはじ」とかアホかと。
また国語では、教材は物語や伝記、説明文ばかり。これから得られるのは、感受性や知識です。
日本語を用いた論理の仕方などそこにはありません。作文も論理的な文章ではなくて感想文だし。
理科は、小学校の段階では不要と思われるような、知識の詰め込みが行われます。
どういった実験事実からどんなことが言えるか、というものではなく、結果を覚えさせられます。
結果を覚えるのはあとからでいいと思うんですがね。覚えなくても本には書いてある。
ちなみに、大学で「実験事実をもとに考察する」ことのやり方を指導されるあたり、
やはりこのことが満足に教育されてないんでしょうね我々は。
社会は言わずもがな。都道府県名暗記、国名暗記、年号暗記、法律暗記。あとは図の読み方。
社会科学での論理のやりかたを教える気なんか一切ありません。

そういう授業やってるぞって反論あるかもしれません。それに対する返答を以下に示します。

  • その(論理の仕方を教えるための)授業が全体に占める割合はどれほどか?私は8割近くないといけないと考えています。
  • テストの内容は明らかに、論理の仕方を試すような内容ではないですよね。

この時点でだめだめですが、中学に行くとさらにひどくなります。
数学は、定理を、論理的に導かれたものである、という重要な側面を無視して、
単に、こういうものだと覚えさせられるものだという印象を与える教育。
国語も相変わらず感受性や知識(を得るための文の読み方)に終始し、
論理性を重要視した教材はないです。
理科も実験事実からどんなことが言えるかを議論するのではなく、その議論の結果を覚えるもの。
社会は相変わらず暗記。社会科学の考え方なんかありません。
英語は、まあこれに論理なんてありませんからこいつはしょうがないですかね。
(言語を研究対象にするなら別かもしれないけど。)

で、高校では試験のために、同じように暗記、暗記、暗記。
数学や物理も、論理性とかなくて、解法の暗記。その暗記する事項の背後の論理も知らぬまま。
教師が、予備校講師が、そしてその講義を受けた生徒が、知識を基礎だと思ってる。
(ただ、私の高校の物理の先生はそうではなく、結論に至るまでの論理過程を重要視なさっていました。)

以上は、カリキュラムに関するもので、このほかに人間教育的な面でも問題が。

それは、年上、先生、大人、偉い人、テレビが言ったことが正しいとする指導です。
客観的に正しい論理よりも、上に挙げたことを正しいとする環境。
言うことを聞かないと罰が来る環境のため、言うことを聞かざるを得なくなり、
自分で考えられなくなる(=論理が出来なくなる)ということになります。
指示待ち人間を作ってしまうのもこの辺りに原因があるのかもしれませんね。

以上経験的に、論理に関する教育がまるでなされてない、つまり足りてないと思う理由を挙げました。
カリキュラムや人間教育の改善がなされるべきだと思います。